輸送技術の未来
マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボが行っている実験「モラル・マシン(道徳的な機械)」1は、自律走行車の開発が直面している「事故は必ず起こるものである」という難問の核心に迫っています。人工知能(AI)は、どうすれば論理的かつ道徳的な判断を下すことができるでしょうか。これは哲学の世界で「トロッコ問題」として知られる思考実験で、何らかの行動を取らなくてはならないが、その行動の結果必ず死者が出る状況における道徳的ジレンマです。どう選択すべきでしょうか。
自律走行車の実用化が近づくにつれ、私たちはこのようなジレンマに向き合わなくてはなりません。モラル・マシンは私たちに問いかけます。歩行者を優先的に救うようにAIをプログラムすべきでしょうか。それとも、車に乗っている人でしょうか。若い人でしょうか。地位の高い人でしょうか。このような質問に対する答えは、人や文化によって異なるのが普通です。私たち自身が一致した答えを出せない以上、AIが正しい判断をするようにプログラミングするのは無理な話です。
人や物の輸送方法を変えようとするなら、このジレンマと同様に人の関心を強くかき立てるだけでなく、より差し迫って解決すべき問題がいくつもあります。そうした問題を解決することがより良い社会の実現につながりますが、そのためには様々な技術のイノベーションが必要であり、化学はその解決に貢献していかなければなりません。
マスコミがアルゴリズムの問題を大きく取り上げる一方で、自律走行車が適切に機能するには、インフラの大幅な増強が必要です。当然ながら、舗装された道路、はっきりと描かれた車線標識(酸化チタンを加えると反射率が高まります)、わかりやすい標識など、道路そのものが最も重要なポイントの1つです。Motor Trend(モータートレンド)誌によると、米国には約650万kmの道路がありますが、そのうち舗装されているのは65%に過ぎません2。舗装されている道路も何らかの整備が必要です。例えば、米放送局CNBCのレポートによると、コネチカット州の道路は73%以上が劣悪〜万全とはいえない状態にあります3。ニューヨークやパリのような大都市や旧市街の複雑な状況を加えると、世界の道路問題は倍増します。
より速い通信、より良い燃料
インフラのもう1つの課題として、通信があります。5G携帯電話が市場に登場しましたが、5Gの信号が広く高密度に展開されるようになるには何年もかかるでしょう。5G無線通信は単に速いだけでなく、低遅延性であることが特徴です4。遅延性(レイテンシ)とは、簡単に言えば、ある信号を送ってからレスポンスが届くまでの時間のことです。自律走行車は互いに通信を行い、互いがどう動くかを把握してうまく処理する必要があるため、低遅延性は自律走行車にとって非常に重要です。自律走行車も、5G対応のエッジコンピューティングを利用することになるでしょう。エッジコンピューティングでは、タスクの処理を中央のサーバーではなく、ネットワークエッジである5G基地局で行うことにより、道路を走るすべての自律走行車の意思決定速度を向上させます。もちろん、これらはすべて、新世代のコンピューターチップと高品質な配線に依存します。
環境問題をきちんと解決しようとするなら、車自体も変えていかなければなりません。米国のCO2排出量の最大の要因は、依然として運輸です5。そもそもの車両数を減らすことが最初の変化になるでしょう。そこで登場するのが、Waymoのような自動運転タクシーサービスを提供する企業です。これら試行中のサービスが先進国での自動車保有に取って代わるようになり、急成長している国での自動車保有の増加を妨げるようになれば、世界全体の交通機関のエネルギー効率は改善するでしょう。
たとえそうなったとしても、社会を脱炭素化するには、自動車の動力供給方法を変えなければなりません。そうならなかった場合にはなおさらです。電気自動車はすでに一般的になりつつあるため、バッテリー技術の向上と低価格化により、消費者はますます電気自動車を利用するようになるでしょう。排出ガスを他の場所に移すのではなく、電気自動車にはクリーンで再生可能な電力が必要です。再生可能エネルギーの多くが断続的であることから、電力会社は電力を蓄える方法を模索する必要があります。そのソリューションの1つが、Nafion™(ナフィオン™)などのイオン交換膜を利用したフロー電池です。同じくイオン交換膜を用いた水素燃料電池技術も、特に、水素が世界全体のエネルギーミックスの一部になった場合には、電気自動車とともに使われるようになる可能性があります。6
空中での効率化
水素燃料電池は飛行機の補助動力装置の負荷を軽減することもできますが、人間を空に送り出すのは無理でしょう。飛行機で移動するのに十分な量の水素を小さくて軽いスペースに詰め込む技術はまだありません。ペンシルベニア大学のヴァゲロス記念教授(エネルギー研究)であるKaren Goldbergが述べているように、「飛行機はこれからも長い期間、液体燃料を使い続けるでしょう」。
これは問題です。米国で昨年、二酸化炭素排出量が増加したのは航空機の利用が一因です5。空の旅の回数を増やそうとするなら、飛行機の効率を上げる必要があります。「ジェット機の見た目は昔とあまり変わっていませんが、効率は格段に良くなっています。設計と製造が大幅に改善され、燃費も向上しました」と述べているのは、Chemours(ケマーズ)の鉱物担当セールス・マーケティングマネージャー、Michel Overstreetです。その鍵となったのは特にジェットエンジンの軽量化で、軽量化の主要ターゲットの1つがタービンブレードです。つまり、ジェットエンジンの最前部を構成する巨大なファンブレードです。また、エンジンのさらに後方では、高温の排気ガスの中で回転し、タービンアセンブリ全体を駆動します。強度、剛性、そして1,000℃を超す高温でも形状を維持することが求められます7。性能向上と軽量化のために、メーカーは単結晶のブレードとして鋳造されたエキゾチックな合金を利用しています。Overstreetはこう説明しています。「ジェットエンジンメーカーは、金属合金のインベストメント鋳造でChemours(ケマーズ)のジルコン鉱物(ケイ酸ジルコニウム)を使用しています。ジルコンは、変形を防ぎ、ブレードの温度耐性と寿命を向上させるプロセスに組み込まれています。現在のエンジンは、軽量化、長寿命化、低燃費化が進んでいます」